株価が暴落する度に読み返されてきた古典中の古典。おいらも読み返してみた。やっぱり古典は何度読んでも損はしない。
この本:
つくづく納得してしまうのは、バブルもバブルの破裂も、人間の「性(さが)」であるということ。これは人間が人間である限り、性懲り無く繰り返されるものなのであろう。「賢明な政策」とやらで、それが避けられたり治療できるとするのは、所詮迷信に過ぎないということ。バブル崩壊への対処方法についてもいまだに人類の知恵は確かな対策を発明できていないのだ。
今回の「超バブル」の崩壊についても1929年当時と驚くべき類似性がある。人間は性懲り泣く同じことを繰り返す動物なのである。
オバマが何をしようと、今回のバブル崩壊が、1929年に匹敵する世界大恐慌に発展する可能性は、半分ぐらいの確立で厳然と存在すると思う。1929年代恐慌では10月の大暴落の後、翌年の3月にはある程度戻すが、その後、継続的に株価の下落が続く。株価は10月の大暴落後の株価が「懐かしい」と思うぐらいのレベルまで下落し、それが定着してしまうのである。政府は考えられるすべてのことを試すが、人間の心理には打ち勝てない。
背景にあるのは、近代社会における消費とはその95%までは単なる「衒示的消費」であるとするヴェブレンの指摘。要は消費のほとんどが不必要な無駄遣いにしか過ぎず、無くても済まされるものなのである。株価暴落で資産を失った市民は、こぞって無意味な消費はやめる。それをやらないとデフレで更なる大損をこうむることになるからである。個人としては賢明な選択ではあるが、それが世界大恐慌をもたらす。
現代社会ではセイフティーネットが整備されているから大丈夫だとする議論は楽観的すぎる。消費のほとんどが絶対的生存レベルのものでない以上(それは1920年代より今の方が言えている)、いくらでも節約するリーウエイが存在するからである。それにセイフティーネット自体が調整を長引かせるという可能性もある。「株が下がって今こそお買い得」なんかというセールストークに乗って今の値段で株を仕込むと手ひどい目に合うことになりかねない。こういう非常時には、損切りに遅すぎると言うことはないのである。また江戸時代の札差しのような(初鰹は女房を質に入れてまで食うという)カッコワルイ「平成バブル見栄消費」と決別するいい機会でもある。
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